| 平成16年9月20日 |
| これまで聖地周りに使用していたハイエースが、エアコンの配管が壊れているのと10月の車検でディーゼルエンジンの排ガス規制を通過しないことのために、平成16年8月22日に新車(トヨタのアルファード)購入契約を締結。平成16年9月18日の午後に納車で、昨日(平成16年9月19日)埼玉県大宮の氷川神社で交通安全祈願と車のお払いを済ませてきました。大宮の氷川神社は私たち家族がお払いをしていただいている神社のひとつです。 平成16年10月に再々入院が決まったので、退院後のリハビリをすませ何とか聖地周りを再開させたいものです。大きいところで残しているのは出雲。 来年はアルファードでいくぞ〜!と決意を新たにしています。 |
| 平成16年8月5日 |
| 忘れない内に。 平成14年の夏、私たちが家族が佐渡島に渡り、それから曽我ひとみさんたちが北朝鮮から帰ってきた。この年の12月、太神は次のように言われていた。 「この問題はすでに解決しておるぞ」 その言葉を聴いてから、1年8ヶ月ののち、ジェンキンス氏と二人の娘さんたちも帰日された。 太神が解決された事柄をこの世の出来事として表現させるのに約2年、長いと見るか短いとみるかは人それぞれだが、万年、千年、100年、50年かかっていたかもしれない頃と比べればはるかに短い。 ここの部分は「預言」(=神に預かった言葉)。 |
| 平成15年9月1日 |
| 主人の私はカミ様の運転する車に乗っけられて、東大和の病院に行って来た。2月に退院するとき、右膝蓋骨骨折の合併症として骨化筋炎と診断されてから毎月通っていて今日で7回目になる。まだリハビリを本格的にする許可は出ていなくて、右足をぴょこぴょこさせながら歩いている。末娘の光宮(みや)の一人立ちしそうな勢いで成長しているのを見て、44歳になっている私は、光宮(みや)に置いてけぼりをくってしまいそうで内心あせっていた。 そんな私の心を察してか、なんと私のカミ様が主人たる私に付き合ってくれるという。 8月29日(金曜日)の朝の物語り。 子どもたちを保育園に連れて行く朝の忙しいさなかに、カミ様が「痛い!」といった。 主人である私「どうしたの?」 「右足の小指をぶつけちゃった」 みると、少しひん曲がっているようにも見える。子どもたちを保育園に送って行き、さらに私を会社まで送って行き、ようやく出来た暇を見つけて診療所に行ったその診察の結果、右足小指の骨折であった。 私をここまで慕ってくれなくともよいのに、とただただ頭の下がる思いである。私が右足をぴょこぴょこさせながら歩いてそばを、カミ様が同じく右足をピョコピョコさせながら歩いてくる。 夫婦の相性もここまで来ると名人の域を遥かに超え達人超人の域か? |
| 平成15年8月12日 お盆の季節です |
| 昨年の春ごろ、私は山形の私の実家の家系図と、カミ様の実家である三重県津市の小坂(旧姓)の家系図を作成して神前左に祀っておいた。昨日(8月11日)、カミ様は何気なくその家系図を開いてみたのだという。自分の先祖の系図をなぞって急に悲しみがこみ上げてきたらしい。カミ様の父親はカミ様が1歳のときに、交通事故で亡くなっている。そして母親は、カミ様が中学3年のときに病気のため亡くなっている。その話を聴いて、私はお盆なんだなと思った。今年は、私の年初の事故のため遠出できないが、ご先祖さんのほうから我が家を訪問してくれているようだ。 ご先祖のことを考えると、神代からつづく血の流れのなかに我々が居り、そしてと同じ釜の飯の中に家族がいるとつくづく感じられてくるようになった。世間でよく言われるように私も「年になった」のかもしれない。 結婚は家と家と関係だという気は毛頭もないが、しかし大きな血脈の流れと別の大きな血脈の流れのうねりに似た結合である事は確かだ。 神によって時が来るまで3000年のあいだ区別されてきた血脈と血脈が大きく合流し大きなうねりを創る。まもなくだ、忘れ去られた神代の血脈の流れを見るだろう。 |
| 平成15年5月5日 昨日、東大和八幡神社に行ってきました |
| 平成15年1月4日の早朝、救急車で運ばれているとき、 「 退院されたら産土さんに参拝に来られよ 」 「 宮が新しくなったら、そなたたちにも知らせてもらえるようにしておかれよ」 という声を聞いていた。5月の連休の一日を利用して東大和八幡神社の参拝に伺った。 |
| 平成15年2月7日 久しぶりの我が家 |
| 今年の仕事始めだった1月4日の早朝、路面がカチンコチン凍っているとき、車の運転操作を間違えて事故ってしまった。単独事故で済んでくれたことと、車が大破してしっまた割に右足ヒザッコゾウの骨折と右手小指の骨折で済んでくれたのは不幸中の幸いだったかもしれない。しかしまだ入院しており、どうも退院は2月の下旬になりそうだ。 救急車で運ばれてから女房殿にご苦労をかけている。練馬の自宅から入院している東京都東大和市の病院まで一週間に3回通ってもらっている。 今日は外泊の許可をもらってて久しぶり我が家に帰ってきた。子どもたちは大変な喜びようで私に飛び込んでくる。私は治療中の右足を踏んづけられるのではないかと思って、ヒヤヒヤしどおしだった。でも、うれしいなア。 完治するのに3年掛かると思え、と神さんにいわれているが気長にリハビリを続けていくしかないか。この入院中に出口直、王仁三郎に関連する書籍をまとめて読めたのはありがたかった。ここまで支えてくれたカミサマに感謝感謝。 また退院してから『月の光』と『めをとBooks』の続きを仕上げて行きたい。ひとまず入院休憩。 |
| 平成14年12月31日 過ぎ行く年に〜桃の実 |
| 今年は三女の出産、入院、中国旅行と何かとあわただしく過ぎた年でした。女は結婚すると女として、妻として、母として、ちっとも休む暇がない毎日を送ることになり、特に仕事を持っていればその倍の負担が加わってくるものです。 でも、そんな中に、子どもたちの陰りのない笑いの中や、朝の仕事の合間に飲むお茶の香りの中に、チョットした小さな幸せを感じるこのごろです。 やはり、人間はまず、何よりも、金よりも、家族が健康で笑いの絶えない、そういう毎日が一番幸せなのだと、私は思うのです。 |
| 平成14年12月12日 一汁三菜 |
| だいぶ前の話を一つ。 我が女房殿の料理は、私の口に合う。よく作ってくれていると思う。とても感謝しているのだが、一つだけ注文をつけることがある。料理の品数が多すぎて食べきれないのだ。 だから私は女房殿に「一汁三菜にしてくれ」といった。 女房殿「いいわよ」 翌日の夕食のとき女房殿曰く「おとうさん、ごめんね、一汁三菜にならなかったのよ。」 確かに食卓には、結構品数が並んでいる。 「白菜でしょ、玉葱でしょ」と説明してくれたのは、お味噌汁に入っている具のことだった。 「一汁三菜にならなくて、2つの野菜しか入っていないのよ」 「 ???? 」と私。 一汁三菜というのは、と私の説明を聞いて、学識のある私(?)を更に尊敬したようだ。エヘン、エヘン。エ!変? |
| 平成14年12月12日 夫婦ってなあに? |
| 我が女房殿、「夫婦って何だろうね」とよく疑問を口にする。 「さあな、なんて言ったらいいんだろうなあ」 と私。 夫婦のあり方について考えるホームページを立ち上げてみようかと私が提案すると 「え、本当! じゃ、考えなきゃ」 「なにを?」 「夫婦って何だろう、ってさ」 「そんな、いきなり答えられるような問題じゃないよ」 我が女房殿、しばらく考え込んだあげく、トイレに行って、それからベットで寝てしまった。 「夫婦ってなんだろう?」 今はまだ、我が女房殿の眠り薬なりけり。 ![]() |
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