『新版 ひふみ神示』      
                            「月の光」はこちら   

































































































































































































































































































































































































  <<  取り上げている項目  >>

1.『神示』が降りた経緯。目次構成と住居。
2.『ひふみ神示』が想定している読者層
3.五度の岩戸閉めと 二通りの「スサノオ」
4.伊邪那岐尊と伊邪那美尊の国生み(島生み)
5.伊邪那岐尊と伊邪那美尊の神生み(神生み)
6.『ひふみ神示』が示す「時」の指針(1)〜「子の年真中にして・・・」
                    →西暦(元号)一覧表〜説明あり
                    →西暦(元号)一覧表〜説明なし

7.男女関係・夫婦関係に焦点を当てて、『ひふみ神示』から引用。


 1.『神示』が降りた経緯。目次構成と住居


 昭和十九年四月十八日、岡本天明氏が審神者兼司会の役を務め、東京の原宿にあった修史協翼会で「フーチ」の実験会が行われた。フーチとは大本とも提携していた世界紅卍会をはじめ、中国では古来御神意を伺う場合に行われている方法です。

 「みろく菩薩」の前で行われたこの実験で、幾組が試みたところ、いずれも「ひつきの神」「天之日月神」という御神名が示されました。審神者を務める天明の記憶にも御神名に心当たりがありませんでした。
 日にちをおいて、森崎鈬男氏が平凡社の百科辞典の中に見つけ、天明氏に教えてくれました。
 昭和十九年六月十日に岡本天明氏が千葉県成田市台方(旧名、印旛郡公津村)の麻賀多神社に訪れ、末社の天之日津久神社に参拝した時から、「おふで」の書記から始りました。

 現在出版されている『ひふみ神示』の目次構成による住居。

●東京の鳩森八幡時代から玉川学園在住時期。
  第1巻上つ巻(昭和19年6月10日〜同年7月9日)
   から

  第12巻夜明けの巻(昭和20年7月21日〜同年8月10日)

●玉川学園在住時期。
  第13巻雨の巻(昭和20年10月13日〜同年12月19日)
   から

  第23巻夜明けの巻(昭和22年8月13日〜同年8月23日)

●千葉県成田市台方の麻賀多神社の側の在住時期。
昭和24年8月、当時の天明夫人の佳代子さんが成田市の病院で亡くなっています。
昭和25年9月20日、現三典夫人と結婚されました。このとき天明52歳、三典さん32歳。
  第24巻黄金の巻(昭和24年11月17日〜25年1月18日)
   から

  第30巻冬の巻(昭和27年5月5日〜同年6月9日)。

●昭和28年3月28日、岐阜県の遠山幸一氏宅の離れに転居。
 昭和30年8月21日、岡本天明と岡本三典氏は北伊勢の地の菰野に移った。
   五十黙示録(昭和36年5月5日〜9月1日)
   補巻月光の巻(昭和33年12月25日〜34年3月2日)


      『フォトンベルトと日月神示』(岡田 光興著、徳間書店)より
       (アマゾンにリンクされています)

 2.『ひふみ神示』が想定している読者層

 五十黙示録第4巻「龍音之巻」より

 五十黙示の七巻は神、人共に与えたもの、一巻からつづいたものぞ。・・・・・・。合わせて三十巻これで岩戸までの神示の終りぞ、前に出した「黄金の巻」からの七巻(日月地聖典下編)は人民に与えたものであるぞ。


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 第六巻日月の巻第二八帖 より

 この巻(月の巻〜第六巻日月の巻第二八帖から第四十帖)役員読むものぞ。

 3.五度の岩戸閉めと 二通りの「スサノオ」

 『 改訂版 ひふみ神示』下巻
 所収 五十黙示録第二巻碧玉之巻第十帖より


             五度の岩戸締めとは


 岩戸閉めの始めはナギ(伊邪那岐命)ナミ(伊邪那美命)の時であるぞ、ナミの神が火の神を生んで黄泉国に入られたのが、そもそもであるぞ、
    〜 略 〜
 次の岩戸しめは天照大神の時ぞ、大神はまだ岩戸の中にましますのぞ、ダマシタ岩戸からはダマシタ神がお出ましぞと知らせてあろう。いよいよとなってマコトの天照大神、天照皇大神、日の大神揃ふてお出まし近うなって来たぞ。次の岩戸しめは素盞鳴命に総ての罪をきせてネの国に追いやった時であるぞ、素盞鳴命は天下(あめがした)を治しめす御役の神であるぞ。
    〜 略 〜
 素盞鳴命にも二通りあるぞ、間違えてはならんことぞ。一神で生み給える御神と、夫婦呼吸を合わせて生み給える御神と二通りあるぞ、間違えてはならんことぞ。神武天皇の岩戸しめは、御自ら人皇を名乗り給ふより他に道なき迄の御働きをなされたからであるぞ。神の世から人の世への移り変わりの事柄を、一応、岩戸にかくして神ヤマトイワレ彦命として、人皇として立たれたのであるから、大きな岩戸しめの一つであるぞ。仏教の渡来までは、わずかながらもマコトの神道の光がさしていたのであるなれど、仏教と共に仏魔わたり来て完全に岩戸がしめられて、クラヤミの世となったのであるぞ、その後はもう乱れほうだい、やり放題の世となったのであるぞ、これが五度目の大きな岩戸しめであるぞ。

 4.伊邪那岐尊と伊邪那美尊の国生み(島生み)

(※)「月の光」の伊邪那岐尊と伊邪那美尊の国生みのページで解題を試みていますのでご参考にしてください。

 『新版ひふみ神示』第六巻日月の巻第二八帖 では
 「この巻(月の巻〜第六巻日月の巻第二八帖から第四十帖)役員読むものぞ」と但し書きをして、「おのころの国成り」について触れています。

 おのころの国成り、この国におりましてあめとの御柱見立て給ひき。茲に伊邪那岐命伊邪那美命島生み給ひき。初めに水蛭子(ひるこ)、淡島(あわしま)生み給ひき。この御子国のうちにかくれ給ひければ、次にのりごちてのち生み給える御子、淡道之穂之三別島(あわじのほのさわけしま)、伊予の二名島(ふたなしま)、この島愛媛(えひめ)、飯依比古(ひひよりひこ)、大宜都比売(おおけつひめ)、建依別(たてよりわけ)という。次、隠岐(おき)の三子島(みつこしま)、天之忍許呂別(あまのおしころわけ)。次、筑紫島(つくししま)、この島白日別(しらひわけ)、豊日別(とよひわけ)、建日向日豊久土比沼別(たけひむかひとよくづひぬわけ)、建日別(たてひわけ)。次、伊伎島(いきしま)、天比登都柱(あめのひとつはしら)。次、津島(つしま)、天狭手依比売(あめのさてよりひめ)。次、佐渡島(さとしま)。次、大倭秋津島(おおやまとあきつしま)、天津御空豊秋津根別(あまつみそらとよあきつねわけ)。次、吉備之児島(きびのこしま)、建日方別(たてひかたわけ)。次、小豆島(あづきしま)、大野手比売(おおぬてひめ)。次、大島(おおしま)、大多麻流別(おおたまるわけ)。次、女島(ひめしま)、天一根(あめひとつね)。次、知詞島(ちかのしま)、天忍男(あみのおしを)。次、両児島(ふたこしま)、天両屋(あめふたや)、二島、八島、六島、合わせて十六島生み給ひき。


 次にまたのり給ひて、大島、小島、生み給ひき。淡路島(あわじしま)、二名島(ふたなしま)、おきの島、筑紫(つくし)の島、壱岐(いき)の島、津島(つしま)、佐渡(さど)の島、大倭島(おおやまとしま)、児島(こじま)、小豆島(あづきしま)、大島(おおしま)、女島(ひめしま)、なかの島、二子島(ふたこしま)の十四島、島生みましき。

 5.伊邪那岐尊と伊邪那美尊の神生み(神生み)


 6.『ひふみ神示』が示す「時」の指針(1)〜「子の年真中にして・・・」

 子の歳真中にして前後十年が正念場、世の立替は水と火とざぞ。
 (第8巻第16帖)

 『ひふみ神示』がいう「子の歳」とは、私の人生にとっては1996(平成8)年のことでしだ。


 そこで
     19(絶対光)96(組む)年、平成(いわと)8(ひらく)年、

          と、受け止めて各地の産土神を訪ねはじめたのです。

 
 「子の年真中にして前後10年」という記述には、二つの見方が同時に成立しています。
●5年と5年で前後十年と見る見方
 1996(平成8)年を基点に考えれば1991-2001年
 2001年9月11日がアメリカテロ攻撃だったのは記憶に新しいところです。
●10年と10年の前後十年と見る見方
 1996(平成8)年を基点に考えれば1986-2006年
 問題はこの2006年です。
 私は2006年1月3日に月読神からの要請に基づいて、メルマガの発行に踏み切ったのです。この世の常識にのっとって、できることは全て行おうという趣旨です。

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 八と十八と五月と九月と十月に気つけて呉れよ。
 (第3巻第27帖)

 「八」→平成8年(1996年)
 「十八」→平成18年(2006年)

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 天明96歳7ヶ月、ひらく。
 (第24巻第15帖)

 平成6(1994)年7月4日が天明が生れてから96歳7ヶ月目にあたる日でしたが、私が『ひふみ神示』を手にしたのは平成7年6月24日でしたので、私にはピンとくるものがありませんでした。
 平成6年7月18日(旧暦6月10日)に、シューメーカー・レビー第9彗星が木星に衝突した日という記憶のほうが鮮明です。


 しかし、『ひふみ神示』のここの部分は、私にとって

    「天の日月は1996年7月に開かれる」

     と読めていました。
     解釈を加えてこうだろう、というのではなく、勝手に読めてくるのです。
 
 なので、1996年7月を私たち家族は極度の緊張感をもって過ごしました。
 1996年7月終り、ある神に「7月のことは無事執り行われた」ことをお聞きして、胸をなでおろしたことを昨日の事のように思い出します。

 それから1年ほど過ぎた1997年12月、はじめて『聖書の暗号』(マイケルドロズニン著、新潮社)を手にして、1996年7月にイスラエルにおいてなにが焦点になっていたかを知り、思わず本を閉じてしまいました。
 
 信念をもって行動しているはずなのですが、あまりにも臨場感がありすぎるので、自分がやっていることに、自分でたじろいでしまったという感覚でしょうか。

 『聖書の暗号』(新潮社PP184-193)には次のように書いてあります。
>>
 ネタニヤフ首相の選挙での勝利が予言されているのと同じ場所でそれを私が発見したのは、ネタニフが首相に選ばれる1週間前、旅行発表の2ヶ月以上も前のことだった。
 暗号には「ネタニヤフ首相」のすぐ横に「7月にアンマンへ」とはっきり現れていた。
         →参照:暗号表_81
 新聞記事でネタニヤフ首相のヨルダン行きは確認された。それは1996年7月25日に予定されていた。
 あらためて聖書の暗号が正しいことが証明された。3千年前に、ネタニヤフが1996年7月にアンマンへ行くことが予言されていたのである。

 ・・・・・< 途中略 >・・・・・・・・・

 ところが、土壇場で突然、ネタニヤフの旅行は延期されたのである。ネタニヤフがアンマンへ出発することになっていた日の前夜、フセイン国王は病気に倒れた。ネタニヤフ首相がヨルダンに行ったのは8月5日だった。

 ・・・・・< 途中略 >・・・・・・・・・

 ネタニヤフ首相は、訪問延期によって、命拾いをしたのかもしれない。
 ネタニヤフの名前と交差する暗号文には、「死、7月にアンマンへ」とあった。

 ・・・・・< 途中略 >・・・・・・・・・

 命拾いすることによって、ネタニヤフは、戦争を阻止、あるいは延期したのかもしれない。
                               <<

 『聖書の暗号』(マイケルドロズニン著、新潮社)によるまでもなく、私たち家族にとって「1996年7月」は「人類の跳躍点」と自覚されていたのですが、あらためて、『聖書の暗号』の「暗号図84」に「1996年7月25日」、「五つの未来、五つの道」という言葉を見つけてしまうと、なんと表現したらいいのか、、、言葉につまり私たち家族のやっている真実性に思わずたじろいでしまう、そんな感じだったのです。
 

 マイケルドロズニンと私たち家族に、「1996年7月」という「時」の共時性(共鳴性)があることを否定しようがありません。これは、同じ時代を生き抜いている同じ走者としての感想です。

 私が日本の東京で家族とともに「1996年7月」と取っ組みあいをしているとき、同じようにイスラエルで「1996年7-9月」と格闘している人物がいたのです。
 それが、マイケルドロズニンでした。

 マイケルドロズニンに対する方法論的批判は『聖書の暗号』(新潮社)のページで紹介し、方法論的批判の方が正当性があると述べてきました。

 しかし、私の個人的体験からみて、『聖書の暗号』(新潮社)には明らかに方法論的批判を超えたところからの力が加わっていそうなことは感じ取れます。学問上の方法論から批判にさらされている『聖書の暗号』を今後どのように取扱うかは悩むところですが、私の個人的体験からだけいえば、マイケルドロズニンの主張は支持できるものです。
 


 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


 1996年7月、ここを超えないと人類は滅ぶ、私たち家族は真剣でした。こういうことを世間でいえばキチガイ扱いにされそうだ。


 1996年7月は、人類史上類まれな跳躍点だと私たち家族に自覚されていました。

 「ここがロドスだ、ここで跳べ」(ヘーゲル『法の哲学』序文)

 この言葉を燈明にして、人類の危機は私たち家族が「今」生活している「今」というこの場にあると捉えて大事に生活してきました。もし「時」という時期が私たち家族に寄り集まってきているものであれば、「今」という時の私たち家族の過ごし方で人類の危機をやり過ごすことができる、こう思いを定めたのです。


 「ここがロドスだ、ここで跳べ」(ヘーゲル『法の哲学』序文)
 ロドス島は想念の中にあるのではなく、日々の生活がロドス島そのものなのです。
 
 1996年7月は、人類史上類まれな跳躍点でした。


 しかし1996年当時、1996年が実は「ハルマゲドンの年」になっているという主張は、五島勉さんの「ノストラダムスの大予言」にかき消されてほとんど目立ちませんでした。それはそれでよかったのです。
 五島勉さんは「ノストラダムスの大予言」で1999年に焦点を当てて主張を展開されていたので、1999年に向けて日本人の心が耕されていました。そのおかげで「天地の交流磁場」が日本人の心を通る下地が十分できていたと思います。

 「1996年の危機」のことは、私を含めたきわめて一部の人たちに自覚されていればいい問題で、五島勉さんのおかげで、改めて提起される必要がなかったようです。1996年は1999年に含まれていたのです。五島勉さんの尻馬に乗って私のように自説を展開された方は結構いらっしゃったはずです。

 わざわざ突拍子もないことを言って、「キチガイ」扱いにされたくないんですよね。

 五島勉さんが日本人の心を耕してくれなかったら、「天地の交流磁場」が日本人の心を通ることができないため、1996年のハルマゲドンで世界は壊滅する方向に動き、その結果1999年、恐怖の大王が現れて滅んでいた、こういう感想を持っている人は私だけではないような気がします。

 五島勉さんの名誉のために、私から一言。
 五島勉さんが救世主的お働きをされたことを、どこの誰よりもこの私が知っています。
 ありがとうございました。
 「1999年7月」の予言は的中していたのです。五島勉さんが日本人の心を耕してくれたおかげで、1996年7月の人類の類まれな跳躍点を無事通過することができました。その結果、「1999年7月」の予言は回避の方向に大きく動いたのです。


 ここが「予言」の真骨頂です。


 「悪い予言はうそにしたいので日夜の苦労、こらえられるだけこらえてゐるのである。」
 (月光の巻 第七帖)」
 
 
 「2000年の危機」も全世界的に「コンピューターの2000年問題」として取り上げられていたので、難なきを得ました。人の心に「構え」が作られると、「天地の交流磁場」はその「構え」を通ることができるので大事に至りません。


 しかし、何の「構え」もないと事が起こります。
 2001年9月11日がアメリカテロ攻撃を知った時の私の衝撃は計り知れないものがありました。

 『ひふみ神示』は
 「子の歳真中にして前後十年が正念場」(第8巻第11帖)
 と警告していたじゃないか、回避できるものは、回避させる方向に動くべきなのです。
 正直に告白します。
 2001年は2000年問題をクリアしたことによって何もないだろう、と勝手に考えて何もしていませんでした。うかつでした。


 2006年も
 「子の歳真中にして前後十年が正念場」(第8巻第11帖)
 という警告の区切りの年であり、なおかつ
 「八と十八と五月と九月と十月に気つけて呉れよ」 (第3巻第27帖)
 とピンポイントに警告を発せられている年です。

 2005年の末までは、2006年の危機も1996年の危機と同じようにすれば回避できるだろう、と考えていました。
 しかし、1996年と2006年の決定的な違いは、2006年には五島勉さんがいないということにつきます。
 マイケルドロズニンの『聖書の暗号』が五島勉さんの役割を担って欲しいと願っていましたが、マイケルドロズニンが学問的装いをほどこして『聖書の暗号』を発表したために、自分で自分のスカートを踏む結果となってしまっているようです。
 日本では、欧米ほど『聖書』に対する関心が高くないため、学問的関心から『聖書の暗号』が読みこなされるからしょう。
 欧米で成功しても、肝心要の「おのころ島」の日本で成功するようなものでないと人類は救われない。

 1999年を過ぎてから、1996年のように安心して尻馬に乗ることができる人がいないのです。
 
 これでは、危機は危機としてストレートに現れてきます。


 どうしたらいいかわかりませんが、解っていることは人の和を乱してはいけない年だということははっきり自覚できています。



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 『聖書の暗号』(マイケルドロズニン著)が指摘している「世界に予言された年」「終わりの日」は、『聖書の暗号』がなくとも主張できることだったが、マイケルドロズニンは私が主張するよりもはるかに影響力が多い方法で「1996年7月の危機」を全世界に向けて警告していた。
 私がマイケルドロズニンの主張を初めて知ったのは1997年12月のことでしたが、警告されてくる年が私が思い描いている年と重なってくるのにとても驚いたことを覚えています。
 1996年、2000年、2001年、2006年という年に対するイメージは同質のものだといっていいかもしれません。
 マイケルドロズニンの主張は、学問的手法に耐ええるものではありませんが、私がやり遂げようとしていることをあっさりやり遂げてくれたという評価をしていました。
 それは、「1996年7月」の危機があったことと同じくらい、「2006年の危機」が浸透してくれているものだとばかり思っていました。

 ところが、それは私一人だけの評価だったようです。
 「おのころ島」にすむ日本人の構えが作れていない。

 ちなみに、私の主張も、学問という範疇の外におかれている。

 しかし、なぜ預言や予言、啓示が可能なのかという点については学問的に真剣に研究した。
 2005年秋、自分なりに納得できる結論に到達している。
 
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 天地という立場から人間を見ると、人間は天地の調和を司るべき尊い位置にいます。
 人間の立場から天地を眺めると、あたかも人間が天地の主宰者であるかのように錯覚するような位置に現れてきます。


 だから、日本各地の産土神に参内する方向を取った。各地の神が動かれれば、各産土神は各地の氏子を導いてくださる。
 人の協力者はまだ非常に少ないが、おかげで日本各地を訪ね歩いたおかげで、各地の神々の賛意を得ている。人はどうかわからないが、日本が動く時には、いっせいに動ける。この点について不安は一切なくなった。

 (※)山形の母には、「神にホロケて、アッチャクセ〜」と今でも言われている。



 7.男女関係・夫婦関係に焦点を当てて、『ひふみ神示』から引用。
 上巻 第4巻 天つ巻 第十二帖より(p98)
 遠くて近きは男女だけでないぞ、神と人、天と地、親と子、喰べる物も遠くて近きがよいのざぞ、
 上巻 第8巻 磐戸の巻 第十帖より(p204)
 家の中が治まらんのは女にメグリあるからぞ、このことよく気付けておくぞ、村も国々も同様ぞ。女のメグリはコワイのざぞ。
 上巻 第17巻 二日ん(ジシン)の巻 第十八帖より(p456)
 生前は生後であり、死後はまた生前であって、春秋日月の用をくりかえしつつ弥栄えている。従って、霊界に住む霊人たちも、両性に区別することができる。陽人と、陰人とである。陽人は、陰人のために存在し、陰人は、陽人のために存在する。太陽は、太陰によりて弥栄え、太陰は太陽によりて命し歓喜するのである。この二者は、絶えず結ばれ、また絶えず反している。故に、二は一となり、三を生み出すのである。これを愛と信の結合、または結婚とも称えらている。
 下巻 第24巻 黄金の巻 第七十二帖(p47)
 世界の人民皆改心せよと申すのぞ。どんなめぐりある金でも持って居ればよいように思うて御座るなれど、めぐりある金はめぐりそのものと判らんか。家の治まらんのは女が出るからぞ。夫立てると果報は女に来るぞ。天界に住む者は一人ひとりは力弱いが和すから無敵ぞ。幽界に住む者は一人ひとりは力強いが孤立するから弱いのぞ。仲よう和してやれと申す道理判りたか。そなたは何万年の原因から生れ出た結果であるぞ。不足申すでないぞ。
 下巻 第24巻 黄金の巻 第八十五帖より(p55〜56)
 神界の乱れ、イロからじゃともうしてあろう。男女関係が世の乱れの因であるぞ。お互いに魂のとりやりであるぞ。この世ばかりでなく、あの世まで続くのであるから、くどう気つけておくぞ。
 下巻 第24巻 黄金の巻 第九十九帖(p64)
 内にあるもの変へれば外からうつるもの、響いて来るもの変わって来るぞ。内が外へ、外が内へ響くのじゃ。妻にまかせきった夫、夫にまかせきった妻の姿となれよ。信仰の真の道ひらけるぞ。一皮むけるぞ。岩戸ひらけるぞ。不二晴れるぞ。
 下巻 第27巻 春の巻 第二十五帖より(p131)
 出足の港は二二の理(みち)からじゃと申してあろう。真理と申してあろう。これが乱れると世が乱れるぞ。神界の乱れイロからじゃと申してあろう。男女の道正されん限り、世界はちっともよくはならんぞ。今の世のさま見て、早う改心、結構いたしくれよ。和は力ぞ。
 下巻 第27巻 春の巻 第二十六帖より(p131)
 愛は養はねばならん。夫婦はいのちがけで、お互いにきづき合わねばならんぞ。夫婦愛はあるのではない。築き上げねばならんぞ。生み出すのじゃ。つくり出すのじゃ。そこに尊さあるぞ。喜びあるぞ。左には宗教、右には芸術。
 下巻 第27巻 春の巻 第二十八帖(p132)
 親子、夫婦、兄弟姉妹と生れても逆縁あるぞ。カタキ同士結ばれることあるぞ。それは神の大き恵みぞ。それに打ちかって、新しき命生み出してつかへまつれ。体験ないところ宗教はない。
 下巻 第27巻 春の巻 第三十一帖より(p134)
 今の自分の環境がどんなであろうと、それは事実であるぞ。境遇に不足申すなよ。現在を足場として境遇を美化し、善化してすすめ。其処にこそ神の光、よろこび現れるのじゃ。逃げ道つくれば迷ひの道に入るぞ。楽に得たもの、楽に失う。
 下巻 五十黙示録 第2巻 碧玉之巻 第七帖より(p212)
 男から女は生れんぞ、奇数から偶数は生れんと申してあろうが、一つのものゝ表が男であるぞ、裏が女であるぞ、男から女をつくったと申すのは或時期に於ける教じゃ、岩戸がひらけたのであるから教ではならん、道でなくてはならんと申してあるぞ、道は永遠じゃ、
 下巻 五十黙示録 第5巻 極め之巻 第六帖(p256)
 和すには」5と5でなくてはならんが、陽が中、陰が外であるぞ、天が主で地が従ぞ、男が上、女が下、これが正しき和ぞ、さかさまならん、これが公平と申すものじゃ、陰と陰と、陽と陽と和しても陰じゃ、陽と陰と和して始めて新しき陽が生れる、陽が本質的なもの、この和し方がはらひきよめ。
 下巻 五十黙示録 第5巻 極め之巻 第二十帖(p263)
 廻りくどいようなれどとつぎの道から改めなされよ、出舟の港は夫婦からじゃと申してあろう、ミトノマグハヒでなければ正しき秩序は生れんぞ、
 下巻 ひふみ神示(補巻) 月光の巻 第三十八帖より(p322)
 はじめの喜びは食物ぞ。次は異性ぞ。何れも大きな驚きであろうがな。これは和すことによって起こるのぞ。とけ合ふことによって喜びとなるのじゃ。よろこびは神じゃ。和さねば苦となるぞ。かなしみとなるぞ。
 下巻 ひふみ神示(補巻) 月光の巻 第五十二帖より(p333)
 同じもの同士では和ではない。違ったものが和すことによって新しきものを生むのであるぞ。奇数と偶数を合わせて、新しき奇数を生み出すのであるぞ。それがまことの和であり清めであるぞ。善は悪と、陰は陽と和すことじゃ。和すには同じあり方で、たとえば五と五との立場で和すのであるが、位においては陽が中心であり、陰が外でなければならん。天が主であり地が従でなければならん。男が上で女が下じゃ、これが和の正しきあり方ぞ。さかさまならん。これを公平と申すぞ。
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